虎を探して「狩野派のライバル 長谷川等伯」

虎を探して「狩野派のライバル 長谷川等伯」
探すとあるものです!

長谷川等伯
桃山時代に狩野永徳率いる狩野派と対抗し、自ら「雪舟五代」を名乗り長谷川派の長として活躍した画家。

水墨画の最高峰「松林図屏風」、金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)の至宝「楓図壁貼付」を描き、豊臣秀吉・千利休を魅了した絵師。

能登七尾(石川県)に生まれた等伯は、はじめ「信春(のぶはる)」と名乗り、主に仏画を描いて活動していましたが、30代という決して若くはない年齢で、京都に新たな活躍の場をもとめて上洛しました。時はまさに、信長や秀吉が覇(は)を争い、豪壮華麗な芸術が爆発的に発展した絵画の黄金期“桃山”。その時流の中で等伯は、肖像画、金碧障壁画、水墨画などを、ときに精緻にときに豪放に描きわけ、非凡な才能を開花させていきました。やがて狩野永徳率いるトップ絵師集団の最大のライバルとなり、時代の牽引者(けんいんしゃ)へとのぼりつめます。そんな彼の生き様は、ジャパニーズ・ドリームそのものといえましょう。


龍虎図屏風という江戸時代に屏風に右隻に龍、左隻に虎を描くというスタイルがあるので、かなりの数あるのでしょう。
龍虎図屏風 慶長11年(1606年)



しかし、求愛のポーズのようなこの作品は珍しい。







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